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池内豊 (野球) : ミニ英和和英辞書
池内豊 (野球)[いけうち ゆたか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いけ]
 【名詞】 1. pond 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [の]
 【名詞】 1. field 
野球 : [やきゅう]
 【名詞】 1. baseball 
: [たま, きゅう]
 【名詞】 1. globe 2. sphere 3. ball

池内豊 (野球) : ウィキペディア日本語版
池内豊 (野球)[いけうち ゆたか]

池内 豊(いけうち ゆたか、1952年4月7日 - )は、香川県大川郡志度町(現・さぬき市)出身〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、33ページ〕の元プロ野球選手投手)。現在はBASEBALL FIRST LEAGUE兵庫ブルーサンダーズの投手コーチ兼二軍監督。
== 来歴・人物 ==
志度商業高校の野球部では主戦として活躍するも、甲子園とは縁が無かった。1970年のドラフト会議南海ホークスに4位指名され、卒業後にプロ入り。
南海では通算7試合の登板に留まり、1975年オフに江夏豊望月充との交換トレードで、江本孟紀島野育夫長谷川勉と共に阪神タイガースへ移籍。移籍1年目の1976年には監督の吉田義男に抜擢され、南海時代の総登板数を超える21試合に登板した。翌1977年からは、8年連続で30試合以上に投げ、阪神タイガースの中継ぎエースとして活躍。1982年には当時のセ・リーグ歴代最多タイ、プロ野球歴代5位タイとなる、シーズン73試合登板を記録した〔。最も活躍した阪神時代の防御率は3点台半ばから4点台で、特筆すべきものでは無いが、登板数が示す通り信頼されたリリーフ投手だった。
その後、1984年オフに、長崎啓二との交換トレードで、横浜大洋ホエールズへ移籍。1985年は23試合に登板したが、1年で自由契約選手となった。1986年阪急ブレーブスに在籍し5試合に登板。同年限りで引退した。
引退後は7年間の打撃投手・スコアラーを経て、1994年から1999年までオリックス・ブルーウェーブの二軍投手コーチで6年間を務めました。2000年から2001年まで中日ドラゴンズの二軍投手コーチ、2002年は中日の二軍育成担当コーチで3年間を務めました。2003年から2005年まで韓国プロ野球起亜タイガースの投手コーチを3年間務めました〔。2006年より中日の動作解析担当として、主に二軍の投手のフォームを撮影し、一流投手のフォームと比較したり、二軍投手コーチの高橋三千丈と相談して改善ポイントをアドバイスするなどをして13年ぶりに復帰した。2008年、動作解析室の廃止に伴い池内も退任。3年間を務めた。2009年は1年間の浪人を経て、2010年関西独立リーグ神戸9クルーズの監督を務めたが、同年に球団が解散。2011年から2012年まで関西独立リーグ・兵庫ブルーサンダーズの監督を務め、2013年より兵庫の投手コーチ兼二軍監督に就任。芦屋学園ベースボールクラブの監督も兼任している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「池内豊 (野球)」の詳細全文を読む




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